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メール・マガジン
「FNサービス 問題解決おたすけマン」
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★第026号 ’99−12−17★
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言葉の力(2)
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●いよいよY2K、
迫りましたな。 <ノストラダムス>よりも、何かが起きる確率は高いでしょう。
さて、どんなことになるのやら、固唾を呑んで、、、 見守るほかありませんな。
12月に入るや、その趣旨のTV番組が軒並み放映されました。 NHKTV
1ch「クローズアップ現代」では、万一の場合に備える訓練の実施例を紹介、、、
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しかし、ここでY2K問題を論じるわけではない。 それほど高度な知識を持って
おりませんので、ね。 ただその番組が、前回のテーマ<言葉の力>にも関わって、
豊富な<教材>を提供してくれたので、見逃すには惜しい、というお話です。
何しろ、ヒョッとすればかなりきわどいことにもなりそうなY2K、だというのに、
その番組で聞かされたのは、<力>なき言葉の典型。 まあ、反面教師というか。
ひとの振り見て我が振り直せ、<反面>さんの方がよほどよく分からせてくれる
ものです。 また、それがNHKの放映意図でしょうから。
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●まず都内のS病院
では「停電」を想定し、すでに設置されている自家発電装置を作動させました。
ところが、「思わぬトラブル」が発生した、そうで、、。
使用中の人工呼吸器が止まったり、ナース・コールが利かなくなったり、だとか。
原因は、「フューズが飛んでしまった」ことだという、、、 おいおい、それは
<Y2Kトラブル>じゃないぜ。 装置の使い方が未熟なだけ、でしょう?
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そんなことを初めて知ったのだとすると、今まで一度も使ったことが無かった、
のかな? 回路保護装置が正常に機能したのは、<トラブル>ではありません。
緊急時の必要電力量を予測し、それを満たすに足る発電能力のある装置を導入
したのでしょうが、どこを計算し損なったのやら? それは<トラブル>。
いずれにせよ、「思わぬ」とはどの部分を言うのか、特定する必要あり。
* *
院長コメント。 「40日後には、同じことが起きるという想定で今日のデータ
を再度分析して、Y2K態勢を万全にして行きたいというように思っております」。
揚げ足を取るようですが、この僅か2行からも、色々な疑問が生じます。
1)「停電」はいつでも起こり得る。 「40日後」とする必要は無いのでは?
2)「停電」とはまた、安易単純。 「想定」は、それだけで良いのか?
3)「再度分析」せずとも、失敗は明らか。 「対策」を急ぐべきでは?
4)「万全に」とはどんな水準? これまでの計画や態勢も、一応「万全」で
あったはず。 次の「万全」は、どう保証するのか?
5)「して行きたい」とは間延びした表現、だが現実は「40日後」に切迫。
<間延び>的認識で、その<切迫>に間に合わせられるのだろうか?
6)「停電」訓練の失敗「データ」だけでY2Kに対処できるのだろうか?
7)結論は、「〜します」など、決意や約束の断定的表現とすべきでは?
* * *
リーダーの発言に説得力が無いと、聴く者の心には、こんな疑念が後から後から
湧いてしまいます。 それでは、リーダーシップにならないのではないか?
この自家発電装置を設置した時、たとえば業者さんの試運転くらいはしたに違い
ないが、それは多分、「エンジンは回ります、電気は起きます」程度だったかも。
病院機能という負荷をかけた試運転ではなかったのではないか、と思われます。
「訓練」は、それを兼ねて、その時点で行なうべきでしたな。 そうしていれば、
上のようなことはすでに卒業しており、恥をさらさずに済んだ、、 はずです。
<命を預かる職場>であろうに、まあ楽観的というか、無責任というか、、、
言葉に力がこもっていなかったのはそのせい。 ほら、外観は内容の表現ですよ。
この例を裏技的に生かし、たとえば、力の無い言葉を発する相手に対しては、
十分な信頼度チェックをかけ、またリスク対策を準備する、としましょう。
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●N医大付属病院では、
「Y2K対策本部」と大きく貼りだして<司令室>風の構え。 本部長Y教授が
おごそかに訓練開始を宣言。 「ただいま2千年になりました。 各部署は万全
の対応をお願いしたいと思います」。 おお、儀式的! そしてここも「停電」
の想定。 それっきゃ無いの?! の感。
続く号令(?)が、言わずもがな、「あわてずに行動して下さい」。 トラブル
発生時にも、そうおっしゃるのでしょうかね? 「〜して下さい」は「お願い」。
しかし緊急時に必要なのは、「指示」や「命令」ではあるまいか?
そして訓練中、やはり「思わぬ事態が発生」。 本物の急患が運び込まれたため、
この訓練に協力してくれていた患者を扱う医師がそちらに回らなければならなく
なったのです。 で突然、「訓練は中止」! えっ、やめちゃっていいの?!
*
自宅から救急車で30分もかかった<協力患者>さん、急に主役?から降ろされ、
「こういう問題は起きて欲しくないというのが実感ですね」、また「こういう
事態にならないことを祈る以外ないですね」と憮然。 ああ! 祈るのみ。
ナレーション、「急患とY2K問題が同時に発生した場合の対応をどうするか、
日常の医療とY2K問題の対策を並行して進めなければならない、医療現場なら
ではの難しさです。」 そのための訓練、かと思いましたがね。 で、どうする
んだ?と訊きたくなる。 何が起きるか、どう対処するか、など想定してかかる
のが訓練というものだろうに、、、。
* *
そしてY教授。「救急の患者さんというのはいつでも起こるわけですから、その
中での対応を考える、ということだと思うんですがね。 どんな危機に直面して
も、その対応というものをどういうふうにするのか、というところがやはり一番
大きな問題だろうと、、、」。 何やら日本語をしゃべってはいるのだが、、、
だからこうする、という方針が見えない。 愚痴や弁解のたぐい、中身ゼロ。
こりゃ本当に「祈る以外ない」ぜ!
* * *
訓練を振り返ってコメントするのだったら、たとえば、
「こういう狙いで、特にこの点を、このように攻めてみたところ、こんな
成果が得られた。 (狙いの良さ、用いた手段の適切さは証明されたが、)
予測の不十分も発見された。 それはこういう点で、直ちにこれこれの、、」
など、具体的に話すことは出来ないものだろうか、しなくて良いものだろうか?
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●次はD銀行Y2K対策室
部長補佐氏の登場。 昨98年10月、すでに一つのパニックを経験済みの由。
それは、支店と電算センターを結ぶ二重の回線が、回線上に介在するNTT
施設のトラブルで、2回路ともアウトになってしまったという大事件。 14支店
でATMが使用不能となって混乱した、というもの。
同時に警察の110番通報も機能しなくなったし、関西上空は交信が途絶えて
航空管制が乱れたり。 3200以上の官庁・企業の通信ネットワークが一斉
に使えなくなった。 D銀行は<その一つ>であったわけ。 それについて、
「二重化しておりましても、ですね、そういうネットワークの障害を受けること
がある、ということで、金融機関にとってネットワークはまさしく生命線である、
というふうなことを痛感いたしました」と述懐。 その教訓を生かして、
全12冊、厚さ1メートルに及ぶ「Y2K危機管理計画」が作られ、「大晦日は
営業時間終了後、電算センターの情報をすべて紙に打ち出して支店に運び
込む、ということにしている。」 何のためか、
「これに基づいて、万一には、手作業で急場を凌ぐ」のだ、とナレーション。
そして再び、部長補佐氏。「ネットワークの障害という、ま、Y2K問題でいう
ところの連鎖波及といったことを、じかに体験しておりますので、ま、あの、、
すでに、ま、業界あるいは、あの、、国を挙げての取り組みの結果、そういう、
えー、事態が起きる可能性は低いと思いますけれど、想定しておかないと
いけない、と、、、」
どうです、<力>が感じられないでしょ? 書き取るのにすら苦労しましたよ。
ちなみにその「手作業」の実験では、一人の客の預金引き出しを処理するのに
15分もかかったりした、とも。 これもまた、祈るっきゃない!だ。
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●コメンテーターとして
坂村健東大教授が登場 。 「Y2K問題というのは、主に<日付>に関わる
トラブル。 しかし、電気が止まる、などは日常的に起こり得ること。 これ
ほどコンピュータに依存している現代社会では、政府から企業までの全組織が
訓練を積み、それに関する情報を公開することが大切、、」と締めくくられた。
即ち各組織各個に、どんなトラブルを想定し、どんな対応策を実施したのか、
を公開してくれる必要がある。 そうすれば、そこから国民各自、個別対応策
を講じることが出来る、と。 まことにごもっとも。
*
しかし驚きました。 せっかくご厚意で見せて下さった各施設や話して下さった
方々を責めるのは酷だが、いや、特に劣悪な例ばかりをNHKが編集したのかも
知れませんが、病院や銀行という公共関連にしてこの実情とは、ね!
どこもがこんなではあるまいが、これが<Y2K40日前>、報道上の現実。
原因や理由は個別さまざまだろうけれど、敢えて共通点を見いだすとしたら、、、
<将来的トラブルへの対応の仕方をご存じない>ではあるまいか?
* *
Y2K問題に限らず、それを技法的に、と言うなら、Rational Process では
「潜在的問題分析」がカバーします。 何も難しいことはありません。 その
道で蓄えて来られた知識や経験を、手順に従って配列するだけですから。
その程度の作業でも、前記のような低次元の失敗は防げますし、もっと整然と
した準備が出来るでしょう。 さらに想像力を働かせれば、思いがけない部分
の手抜かりも浮かび上がります。 要するにシミュレーション、時間も費用も
大してかかるものではありません。
「訓練」は必ず実施すべきですが、その前にまず潜在的問題分析を、とすれば、
大騒ぎの挙げ句が前記のようなお粗末、ということは無くて済むはずです。
同じエネルギーを費やすにしても、より大きな効果を生むのがマネジメント。
その観点から率直に言えば、前記はマネジメント欠如の例、ですね。
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●<反面教師>諸氏に共通
していたのは<言葉のあいまいさ>。 たとえば、「〜というふうなことを」
「したい」「と思っております」。 ボカシ表現の三段重ね、ですな。
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「〜というふうな」が、すでにあいまい。 具体的に「これ」という案や手段が
特定されていない。 何をするか、が未だ決まっていないらしいことが分かる。
「したい」は、「します」ではない。 希望や期待であって、約束ではない。
誰かさんのご機嫌次第では、行なわれずに終わるかも知れない。 「訓練」が
不首尾だったのも、その甘い取り組み方のせいだろうに、失敗に学んだ様子は
どこにも見えない。 生じた遅れを取り戻そうという気迫が感じられない。
「と思っております」は殊勝げだが、その心境はすでに「したい」で語っている
ので、これは無意味なダブり、言葉の水増しですな。 中身の空虚さを<量>
で補おうという魂胆? あるいは、無意識のあがき、かも知れません。
* *
日本語という、味わい深く、機能的にも優れた美しい言語を、これほどいい加減
に使う、その神経を私は疑います。 いや、<無神経>なのかも。
生まれた時から聞き、しゃべり、学校で学んだはずの日本語。 それが頭の中で
渦を巻いて<考え>にまとまる。 その日本語の使い方がお粗末だ、ということ
は、その<考え>もまたお粗末、ということ、でしょうな。
訓練の成果とその後のコメントとは、そのように相関している、と私は見ます。
ご本人には不本意でもそう見えてしまうものなのですから、管理職たる皆さん、
日本語を大切に、正しく使おうではありませんか。
しかし大切にしない人は多い。 近ごろは特に、とは言えるだろうけれど、実は
昔から、しかも相当な影響力ある人においてすら、、、。 たとえば、
* * *
明治維新後の初代文部大臣、森有礼。 日本の、しかも学校教育の元締めである
文部大臣が日本語廃止論を唱えた、と本に出ていますよ。 つまらない劣等感に
とらわれたもののようですが、その後、今に至るまで、文部省は常にアヤシイ。
その初代いわく「、、自分は日本語を廃止して英語を採用したいと思っている。
まだこれだけでも不足であって、日本人を人種的に改良しなければならない。、、」
何とラジカル! こりゃ国家反逆罪的発言だぜ。 あなたも日本人だろうに。
* * * *
その半世紀余り後、志賀直哉は「、、、日本の国語が如何に不完全であり、不便
であるかをここで具体的に例証する事は煩わし過ぎて私には出来ないが、四十年
近い自身の文筆生活で、この事は常に痛感して来た。、、、」
「、、、そこで私は此際、日本は思ひ切って世界中で一番いい言語、一番美しい
言語をとって、そのまま、国語に採用してはどうかと考へている。 それには
フランス語が最もいいのではないかと思ふ。、、、」
こでが日本語をメシの種にした人の言葉かね?! よく言えたもんだ。 そして、
「外国語に不案内な私はフランス語採用を自信を以ていふ程、具体的に分かって
いるわけではないが、フランス語を想ったのは、フランスは文化の進んだ国で
あり、、、フランス語が一番よさそうな気がするのである。」
と来るのだから無責任。 そんな人の文章が教科書に載り、学校で習わされたの
だから、国中オカシクなってもオカシクない。
* * * * *
戦後の国語改革はいかにも拙速、漢字制限や新仮名づかいの実施によって、
たださえ「不完全、不便」の日本語を、さらに<別のもの>にしてしまった。
推進したのは<アメリカ教育使節団>。 マッカーサー占領軍への報告書に、
「いずれ漢字は一般的書き言葉としては全廃され、音標文字システムが採用される
べきであると信ずる。、、、本使節団の判断では、仮名よりもローマ字のほうに
利が多いと思われる」と。 一見ご親切風、実体<文化破壊>、でしたな。
団員27名の中で、日本語が解るのは1名だけだったという。 そんな人たちの
単なる思いつき、あるいは小賢しげな屁理屈、を受け容れたのが間違い。
GHQの検閲やら、出版・報道界の自主規制やらもからんで、この国は思考力を
失ってしまった。 これが本当の敗戦。 今も未だ、負け続けていますよ。
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●それが無ければ
考えることも出来ない、我々にとってかけがえの無い日本語。 たしかに「言葉は
生きもの」だが、その考えを、<劣化させる口実>にしてはいないだろうか。
同じく生きものである我々自身が「より良く生きる」機会を求めてやまないのに、
お世話になっている言葉を「より良く生かす」ように努めないのはフェアでない。
浅薄にして無責任な輩が何を言ったか、したか、を一応は念頭に置き、しかし未だ
間に合う、と信じて修復に励もうではありませんか。 それが我々自身の思考力の
向上、問題解決力の強化にもつながるのですから。
■竹島元一■
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